生涯未熟

生涯未熟

プログラミングをちょこちょこと。

エンジニアはもっと図を書こう

たまには軽い話題をば。

自分の中で信頼できるエンジニアかどうか?を見極めるひとつの指標で「込み入った議論の時に図を書くかどうか」というのがあります。
今までの経験上、図を書く派のエンジニアは割と良い感じの人が多かったので採用している指標なのですが、何故これが機能しているかというのを改めて考えてみた。

  • 他者の認知負荷を理解している
  • コンテクストを合わせることにコストをかけられる意識がある
  • 自分の思考の整理するツールとして図を扱えている

ザッと挙げましたが、この3つが機能している要因なのかなという気がしています.

他者の認知負荷を理解している

あれやこれやエンジニア間で技術議論している中で、「Aさんはこの領域に詳しいけどBさんはこの領域にはほどほど詳しいくらいだな」という個々のレベル差に応じて認知の負荷がかかります。ただでさえ議論していると結構なスピードで話が展開されていくので、認知負荷が更に加速してついていけなくなる人も多くなることでしょう。
そういった人を話のラインに合わせてあげるために一回議論を止め、図を書いて「こういうイメージで話合っていますかね?」とワーキングメモリのリセットがかけられる人はチームのために動けてるなと信頼がおけます。

コンテクストを合わせることにコストをかけられる意識がある

先述と似たような話なのですが、きちんとコンテクストを揃えることにコストを払える人は良いエンジニアと考えています。たまに自分の知識レベルでガーッと喋って満足しちゃう人もいますが、そういった人は正直あまり好みません。
ある主題に関して全員の認識を合わせることが、将来的なチームの協調行動の強化に繋がるのでそういったチームの未来という絵図を描いて行動できるエンジニアは良いですね。

自分の思考の整理するツールとして図を扱えている

これは完全に主観なのですが、パッと頭の中で考えてることを整理された状態で図に書き起こせる人は能力が高い印象があります。普段からちゃんと思考が論理的に頭の中で組み立てられているので、図に起こすのもスッと出来るんだろうなーという気はしています。

図 > 文章

文章だけよりも図があることで理解度の向上の助けになっているということが感覚値では持っているものの、なんらかのアカデミックな論拠が無いかなと調べていたらこんなの見つけました。

jiotower.org

“マルチメディアの原則”として知られている原則は、”人々は言葉だけからよりも言葉や絵からより深く学ぶ”(p.47)と述べている。

あとはJohn Swellerさんの認知負荷に関する文章とか読んでいけば、もしかしたら似たようなことが書いてあるかも。(未調査)

薄ぼんやり考えてることをたまにはつらつらと書いてみるのは良いですね。また何か良いトピックがあったら書いてみます。