最近の読書術並びに自己啓発本の中には頻りに「自分を高めるにはインプットとそれに基づいたアウトプットが必要です!」と声高に語られている。
これに反論するつもりはないし、全くその通りだとも思う。
しかし、である。
多分これらをスムーズにこなせてる人は元から「脳の咀嚼力」がかなり長けている人だと考えている。
「脳の咀嚼力」があまり上手くない人が本の通りに実行するとインプットがただの知識になります。
かく言う私もそうです、今でもまだ「脳の咀嚼力」に長けているとは言えません。
まずはこの咀嚼力とインプットの理解を深めるために考えていきましょう。
・インプットの重要性
誰でも分かることですがインプットは重要です。
インプットが無ければ人間の創作意欲は刺激を受けず、目新しいアウトプットは出来ないことになります。
では、インプットとは何でしょうか?
wikipediaでは「電子回路や音響機器・映像機器においては、電子回路に電気信号または電気エネルギーを与えることである。」と書いてあります。
人間の脳みそも電気信号によって働かされる言わば電子回路のようなものです。
そこに対して電気信号という刺激を与えれば必ず何らかの出力が得られるはずです。
問題はそのアウトプットが本当にインプットを100%活かすことが出来ているのか?ということ、いうなればアウトプットの「質」です。
インプット自体の質がどうあれ、その情報を他の情報と絡めてこそ真価を発揮するということも多々あり、他にもインプット情報の量によってそのインプット情報が良いか悪いか、を精査することだって出来ます。
インプットはアウトプットへのカンフル剤としての役割が強く、要はそれらによって吐出されるアウトプットの質が左右されるのが「脳の咀嚼力」の長短に依るのではないのだろうか。
この項での結論:
インプットの質はアウトプットへの影響が少ないが、そのインプット自体がないとアウトプットも糞もない。
・脳の咀嚼について
咀嚼なんて読みにくい漢字を使ってますが、要はインプットされた情報を加工し、どれだけ自分の理解に沿う形に作り上げアウトプット出来るレベルまで引き上げるか、という一連の過程が脳の咀嚼です。
インプットの多い人でアウトプットが苦手・または上手くいってない、という人は脳の咀嚼力が低下しているのかもしれません。
私なりの考えですが、この咀嚼力は一朝一夕では身に付きませんし人によっては成長度合いに差があるかと思われます。
ではどのようにすれば脳の咀嚼力は鍛えられるでしょうか?
これまた私なりの鍛え方なのですが、大まかに2種類鍛え方があります。
第一にインプットをする際に「あっ」と感じたフィーリングを逃さず思考することです。
本などを読んでいるときにたまに「これはあの人と同じ考え方だな」や「この考え方とこの考え方では真逆なんだけどどちらが正しいだろう」などパッと頭に浮かぶ時があります。
で、最近まで私はそういう時は「今はインプットに集中しなければ」と思考を中断してしまいがちでしたが、この割れる寸前のシャボン玉のような感覚を無理に押し込めず、慎重に触れるようにしてみました。
洒落た言い回しをしようと頑張ってみましたが、つまりは頭に何かが浮かんだら一旦本を閉じたり眼を閉じたりして、その一瞬のノイズを逃さず深く考えていくようにしたのです。
そうすることによって私の中で本の内容を別の本の内容と照らし合わせ、組み合わせたりなどその本の内容だけで完結しないようリンクを張り、内容を噛み砕いて吸収することが出来ました。
尚、この例と相まってなのですが、こういうことに気付く過程にはこれまた「セレンディピティ」という考え方をリンクさせ考えた結果生まれたものです。
自分の中でくすぶっているセレンディピティを磨くことによって脳の咀嚼力も鍛えられるのかなぁ、と夢想したり。
第二にインプットやアウトプットから離れたときに様々な議論を自分の中で巻き起こすことです。
暇な時に頭の中で何かをテーマに自問自答しながら自分のみの議論をすることで、インプットから得たものを引き出す特訓になります。
そして、その引き出した情報をどう活用するのかというインプットの刃を研ぐ作業にもなるのです。
この議論においてのコツとしては「無理に結論を出そうとしない」こと。
結論を出そうと躍起になると議論の流れが凝り固まったものになってしまいがちです。
結論を度外視してもっと自由な議論を巻き起こし、自分の中でこんな考え方があったのかという発見があったりします。
そういった発見を見つけることも自己議論のひとつの目的です。
私なりに並べた咀嚼力鍛錬法ですが、これは人それぞれという感じなので自分にあった鍛錬法を見つけるのが一番かもしれません。
この項での結論:
インプットと咀嚼(思考)はセットで考えるようにする。
・アウトプットについて
私の中ではインプットという刺激を受け咀嚼された上で出されるもの、という認識です。
アウトプットはインプットと咀嚼力の最終的な産出物なのですが、このアウトプットの質はただインプットの質だけの問題ではなく咀嚼力との兼ね合わせ、そしてもう一つは「アウトプットの経験値」で決まります。
どんなに良いインプットを受け咀嚼力が抜群でも、アウトプットの経験値が低いと活かせるものも活かせきれないことがあります。
実際に文章にした経験がアウトプットの際に重要で、アウトプットが上手くいかなければ次へのインプットのモチベーションも下がってしまいます。
それを避けるためにもインプットからアウトプットへの一連の流れは確実なものにしないといけません。
そのためにもアウトプットを習慣化させるように、例えば「本を読めば感想をノート、もしくはブログに書く」や「友人との議論を積極的に行う」など手軽にアウトプットが出来る方法を活用することが習慣化の第一歩です。
この項での結論:
アウトプットは「インプット」・「脳の咀嚼力」・「アウトプットの経験」のバランスによって決まる。
・まとめ
最初に立ち戻りますが、自己啓発本が「自分を高めるにはインプットとそれに基づいたアウトプットが必要です!」と言うには暗に今までに挙げた能力を高め、それを実生活に活かすことで更なるリターンを得ましょうという意味が込められてるのではないのか、という結果がこの文章を書く内に私の中で得られました。
また、このようにアウトプットの最中から新たな着想を授かることもあったりするのでインプットからアウトプットは得るものが多い営みなんだなぁと思うことで〆としたり。