生涯未熟

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プログラミングをちょこちょこと。

四畳半神話大系読了。

ちょうど森見登美彦先生の作品がアニメ化したというので四畳半神話大系を見つつ原作本を買いました。
夜は短し歩けよ乙女で森見先生の作品に初めて触れた私ですが、やはり先生の一番の特徴は「急に現実から離される独特の作風」でしょうか。

あらすじだけを見れば誰もが「大学生の主人公がキャンパスライフを面白おかしく過ごす話なんだろうなぁ」と感じるでしょう、私も御多分に漏れずそうでしたw
しかし、蓋を開ければイイ意味で脳内に作品を展開しずらいような場面が多々出てきて読者の頭をぐるぐると回させるような進行に引き込まれていきました。

今回読んだ四畳半神話大系はそんな森見先生ワールドを裏切らないような内容となっており、サクサクと読めてしまうこと受け合いの作品です。

さて、この作品を読んでの自分なりの肝となったと思う部分をまとめていきます。



・薔薇色のキャンパスライフとは何だったのか?


主人公の「私」がしきりに口にする「薔薇色のキャンパスライフ」。
これを得るために様々なパラレルワールドを体験するワケですが、結局薔薇色のキャンパスライフとやらは何だったのでしょう。
アニメ版四畳半神話大系では明石さんという麗しの乙女を隣に小津との友情を再認し結末を迎えていましたが、それ以外のパラレルワールドではもう一度キャンパスライフを送り直したい!という最後を迎えています。
対して原作ではどのパラレルワールドでも明石さんと成熟した恋を実らせ(第2話は直接的な表現はありませんが)、小津なりの愛も受け取っております。


もし、「私」が言う薔薇色のキャンパスライフの定義が「黒髪の乙女という彼女がいて、勉強に勤しみ、肉体の鍛錬に励み、多くの友情を結び、社会にとっての有益な人材となろうとする」ことであるならばパラレルワールドの中に薔薇色のキャンパスライフを送っている「私」はいません。
しかし、「私」は最後の八十日間四畳半一周編で今までのパラレルワールドの中では気付かなかったことを気付きました。

どの世界でも「私」は満たされている状態にあったという認識です。


今この身が置かれている状態を満足していると認識するのはなかなか難しいことです。
この事を書いている内にこんな記事があったことを思い出しました。

日本人の幸福度は10点満点で「6.5」 内閣府調査

私としては、パソコンが自由に使えて食べ物も過不足なしに与えられる今の状況にはとても満足していますがそれでも10点満点の値を付けられるかと問われればそれは難しいと返してしまうかもしれない。

2ちゃんねるで有名なひろゆきさんは勝間和代さんとの対談の中で水と食料が十分なだけでも満足だ、と言われていましたがそういう人は自分が満足な状態にあるというのを認識しているからこそ言えるのでしょうね。

話がそれてしまった気もしますが今ある状況を満足なものであると認識することが薔薇色のキャンパスライフであったのではなかろうか、と考えています。


・小津の存在


小津は作品中のすべてのパラレルワールドに出てくる「私」の唯一の友人です。
様々なサークルを八面六臂の立ち回りでこなすと同時に「私」を悪行へと誘うなんとも憎めないキャラ。
ある意味明石さんよりも重要な立ち位置のキャラクターでした、というのも第1話〜第3話までの「私」の小津への印象は「もし彼と出会わなければ、きっと私の魂はもっと清らかであったと言わざるをえない」だったのが最終話で小津との友情に気付かなければラストの展開までにはいきませんでしたしね。

しかし、ここで書いていて一つ疑問が。
何故アニメ版での最終話の小津は「私」と認識がなかったのであろうか?
これもよく考えてみたら、アニメ版は福猫飯店と八十日間四畳半一周が別々のものになっているから小津とは面識がなかったのか。

ともあれ、原作の最後のセリフが小津なのから見て森見先生の小津への入れ込みようが分かりますw
こちらの森見先生のインタビューから分かるように私も読みながら小津のように暗躍出来たらとは思いましたね。
むしろ小津が作品中一番キャンパスライフを謳歌しているのかもしれないw


・大学3回生という設定


今私は大学4回生なので大学3回生の時のことは昨日のように思い出せます。
森見先生自身はそこまで意識せずに書いてないかもしれないですが、大学3回生は大学生活にも慣れきりふと今の状況を立ち返る時期なのかなと思います。
さらに就職活動など現実を直視しなければいけない時でもありますので、自分を見つめ直すというテーマにちょうど良い設定かと。



最後に、この作品に出てくる樋口師匠と羽貫さんは実は夜は短し歩けよ乙女にも登場しています。
樋口師匠の天狗っぷりがとくと味わえるので興味のある方はご一読をオススメします。