生涯未熟

プログラミングをちょこちょこと。

僕の心と他人の心

本日付で勤めていた会社を退職致しました。

会社を含めた周りは悪くなく、全ては自分が原因です。

2ヶ月ほど休職していたのですが、その間に「僕という人間は何がダメで今後どのように向き合えば良いのか?」ということを連々と考えたりしましたので、心の整理をつけるためにも駄文ですが書き綴りたいと思います。

言葉の裏が読めない幼少期

僕は小さい頃、少しおかしな人間でした。

どのようにおかしかったかというと、人が発する言葉の裏が全く読めない人間だったのです。

例えば、近所に仲の良かったお兄ちゃんがいたのですが、その人が冗談で牛乳瓶に泥水を入れた状態で「コーヒー牛乳やで!」と手渡してきました。

色もコーヒー牛乳とは違っていたので、普通だと「そんなわけないじゃん!」とツッコみを入れるところですが、言葉の裏が読めなかった僕は「あ、こういう色のコーヒー牛乳があるのか」と疑いもせず飲もうとしました。

慌ててお兄ちゃんが止めに入りましたが、当時の僕はそのくらい人の発する言葉を鵜呑みにする人間でした。

言葉には裏があると知る

その後、幸いにも周りの人に恵まれ、成長を重ねる毎に人の心というものを学んでいき「言葉はそのままの意味を受け取らず、裏の意図を読む」ということを覚えました。

この概念を覚えたことにより、僕の生活はとても過ごしやすくなりました。

いや、過ごしやすくなったと錯覚していました。

裏を読むことで僕は爆死した

社会に組み込まれる人間になり、裏を読むことを常に要求されるようになりました。

言葉の裏を読むということはとても疲れる作業です。

僕は段々と疲弊していきました。

「もしかしたらこの人は僕をダメな人間と言っているのではないか?」

「この人は僕のことを嫌っているのではないか?」

常にネガティブな妄想が頭をよぎるようになり、つい2ヶ月前にこの数年間溜まっていたものが噴出してしまいました。

本音で向き合う

休職し、暗闇の中で僕は何が悪かったのか?を自問自答する日々を過ごしました。

時には辛くなり、刺身包丁を手に取る夜もありました。

しかし、僕は気付いたのです。

いつの間にか、言葉の裏に惑わされて自分の本音をぶつけ、他人の本音をぶつけられるということの大切さを綺麗さっぱり忘れていることに。

本音を自分の中にしまい込み、他人と本音でぶつかり合うということを無意識に避けるようになっていることに。

これから

今後は多少パワーを使うことになろうとも、他者と気が済むまで本音でぶつかり合ってみようと思います。

ぶつかってみた結果、後味が悪いことになるかもしれません、それか本当の意味での信頼が生まれるかもしれません。

実践することによりどうなるか結果は全く分かりませんが、自分の経験値となることを信じてやっていきたいです。

その他気付いたこと

  • 休職中の保険料を払わないといけないので余裕のある資金を持っていたほうが良い
  • 部屋にずっといるとネガティブな考えも沸き起こってくるので、なるたけ外に出る
  • せっかくの休養なのでとことん自分自身と向き合って、自分にとって何が許せなくて何がしたいのか?を発見すること
  • 休職中だからといって頑張ってはいけない、休むことに徹する
  • うつ病になると周りの人間が全員敵に見える、すれ違う人にも恐怖心を覚えた時は我ながらビックリした
  • 本当に悪い人間なんて一握りもいない