生涯未熟

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プログラミングをちょこちょこと。

ハーバード白熱教室

私はこの番組を見てテレビ画面を見るというより実際の講義を受けているという錯覚に陥った。

それほどにこのサンデル教授の人を惹きつける話術は上手く、シンプルな問題から学生とのやり取りを経て1段階ずつ深く深く話を進めて行く。も
その中に笑いも起き、それがより講義に集中させるためのカンフル剤としての役割を果たしており、30分×2で1時間の講義があっという間にも思えてしまう。

さて、この「ハーバード白熱教室」という番組はyoutubeで人気が出たハーバード大学教授のマイケル・サンデル教授の講義をNHKが日本語翻訳をつけ放送しているものである。
そして第一回の講義テーマは「殺人に正義はあるか?」である。

私はこの番組を見る前にこれもNHKの「爆笑問題のニッポンの教養」でも論じていた(いつの回であったかは失念してしまったが)「殺人」についてのことを朧気ながらに思い出していた。

社会の中で殺人という行為は様々な意味を持つ。「金」のためであったり、「恨み」であったり。
サンデル教授は、この行為に対して学生達に一つの事件を投げかけた。
「ミニョネット号事件」という遭難事件である。

「ミニョネット号事件」は簡潔に説明すると、3人の船乗りと1人の給仕が海上で遭難し、食料も水も無い極限状態で一番弱っていた給仕を殺して食べてしまいその後残った3人は助かった、という事件である。
現実ではこの3人は一度司法の下で死刑、と判断されたが世論に動かされ死刑は免れたとwikipediaには書いてある。


サンデル教授はこの事件を「功利主義」の最大多数の最大幸福をテーマに学生との議論を展開していく。
まず、サンデル教授は「この行為は道徳的に許されるか?」と意見を求めた。
生きなければいけなかったので仕方なかった、社会的に殺人はいけない、法の下では許されるが道徳的には許されないなど様々な意見が飛び出す。

そして、その中で給仕が同意し殺害された場合は良かったのか?という議論に発展する。
この同意し殺害というプロセスになると、この行為は道徳的に正当化されるという人数が増えた。
同意の下でもカニバリズムはいけない、正当な手続き(この場合くじ)を踏めば殺してもいい、どんな場合でも殺人はいけないという意見などそれぞれの意見に対しての反論を出して、それをさらに深い議論に誘っていくサンデル教授。

そして、議論の最後に「どこから基本的な権利はきているのか?、公正な手続きはどんな帰結も正当化するのか?、同意の道徳的な働きは何か?」この3つに対しての意見はまた次の講義で・・・と締めくくられる。


この番組を私は父親と見ていて、見終わった後に熱い議論が巻き起こった。
そしてその中で父親が「4人が同様の状況であればどうだったのであろうか?また4人がそれぞれ違った身分であればどうだっただろうか?」という質問をぶつけられ、確かにそういった状況であればまた道徳的な意味合いが変わったのではないだろうか、と私も感じた。


この講義のことをよく咀嚼し、また次回の講義までに道徳の意味を考えておきたい。