生涯未熟

プログラミングをちょこちょこと。

WHO INSIDE

魅惑なタイトルの意味がそのままのヒントの今作でございますw
無事自分の中では早く読み終わったかなと思えるスピードで読み終わりました。
前回の日記でも書いた通り案の定今作の事件には「壷」が大きな役割を果たしていたわけで・・・。


さて、今回の作品で私が感じたのは「言葉」が持つギミックの不思議さです。
例えば、「いる」という文字・または音声を見て聞いただけではその言葉が持つ伝える力は半減、もしくは可能性という意味では無限大になり、正確性は欠如してしまいます。
だからこその面白さが「言葉」にはあり、また言語学という研究分野が確立されたりするのでしょう。
それに「言葉」をロジカルに説明することは、それら派生系(小説や詩など)の無制限ゆえの快感を奪うことを指し示してしまいますしね。


私はそんな「言葉」が持つ不確かさに心が奪われることが多々ありますw
日本語もそうなんですが、英語も然りで茂木健一郎さんが週刊誌で受け持っていたコーナーにて「一口にspiritといってもそれが持つ意味が精神なのか霊魂なのか、と色々な受け取り方が出来ることに面白味を感じる」と言われていました。
芸術においても、わざとアシンメトリーという完全性を放棄し、形状的欠如をもたせることが説明不可能な魅力を醸し出している「ミロのビーナス」にも同じことが言えますね。
色々なことに不完全美がある、と言い出したらその元である人間も不完全なんですがねw

そういえば私のバイト先に言語学を専攻している方がいるんですが、その方が言うには言語学には生成言語学と認知言語学の2つの学派があり、今でも色々と2大学派を柱に研究してらっしゃるようなんですが、私としてはバイト先の方や研究をしてらっしゃる方には悪いですが解明されない方がまだまだ言葉の不完全性を楽しめる分良いかな、とw


次はまた新書あたりの積読をこなしていこう!(`・ω・´)